ある平日の昼、突然ですね。
ピンポーンの音が聞こえて、玄関に赴き扉を開けると40前後の女性が2名立っていました。
開口一番、
「地域包括支援センターの○○といいますが、お父さん大丈夫ですか?」
の一言。
この言葉を聞いた私の反応は、おそらく『は!?』って顔に見えていたと思います。
いや本当に意味が分かりません。
大丈夫っていったい何が?
体とか生活とか仕事とか、主語が抜けているのですよね。
ただ、なんとなく包括センター(地域包括支援センター)の役割を知っていた私は、「大丈夫ですよ」と軽い感じで返答してしまいました。
それが約4年前。その翌年、別の相談員だと思いますが、目的は同じ。
ちなみに母も同居していますが、心配するのは父だけです。
そして1年前(3度目)。担当地区が変わったという挨拶。それと、今後は月に1度のペースで訪問したいとの要望。
年に1度の訪問も了解したつもりはなかったけど、「はい。わかりました」と特に違和感を持たず答えて。
それから約1年経とうとしていますが、以降、包括センターの相談員は1度も来ていません。
地域包括支援センターとはどんな組織で誰が何をするところ?
包括センターの自宅訪問を受ける前までは、高齢者の相談に乗ってくれる組織、というざっくりとしたイメージしか持っていませんでした。
しかし、よくよく考えてみると「包括ってなんだよ?」、「高齢者という言葉はどこにも入ってないし」。
そこで調べてみると、包括とは『さまざまなものごとを一つにまとめること』。
これを聞いてもよくわからないですよね。
だから、ピンとこないし、馴染まない。いきなり来られても、「えっ!?」みたいな反応になってしまうと思うのです。
さて、包括センターについては、介護保険法の第115条の46、47に詳しく述べられています。
それによると目的は、『地域住民の心身の健康の保持及び生活の安定のために必要な援助を行うことにより、その保健医療の向上及び福祉の増進を包括的に支援すること』となっています。
ようするに、各市町村で暮らしている住民の健康や生活を援助する組織と。
その住民がどこまで含まれるのかということですが、介護保険法で制定されていることから、被保険者である65歳以上の人また40歳から64歳までの特定疾病に認定された人になると思われます。
私の家には80代の高齢者が2人住んでいますので、包括センターの相談員が来られるのは少なくとも不自然ではありません。
その包括センターの設置者は市町村。引っ越しをしたとき転入届を出しに行ったり、コロナワクチン接種の案内を送付してくれたりする役所。住民にとっては警察と同じくらい頼りたくなる存在で、安心感があります。
では、私の家に来てくれた相談員は公務員なのかというと、そうでもないようです。3回目の訪問のときいただいた名刺には、特養(特別養護老人ホーム)の事業所名が書いてありました。
『委託』
包括センターの実務は、市町村の代わりに特養を経営している社会福祉法人などが主に行っています。
具体的に何をしてくれるのかというと、高齢者に関する相談。
名刺と一緒にもらったパンフレットには、主な相談内容として「介護」「健康」「お金や財産管理」「家族」「近所の高齢者」が挙げられています。
それと、相談員は主任ケアマネジャー、社会福祉士、保健師等の資格を持っている人たちのようです。
80代の両親の認知機能低下状況
私が記憶や理解などの認知機能を意識するようになったのは、父が80歳になったころ。
1.まず、「わからない」という言葉を使うことが多くなった。不動産会社との会話、通帳の見方、役所から届いた書類、浴室の蛇口の使い方、ゴミの分別、今日の日付・曜日など
2.次に、車の運転。やたらと反対車線の近くで走ろうとする。一時停止などの交通違反で捕まるケースが多くなる。これについては、衝突事故を起こしたのをきっかけにマイカーは廃車してもらいました
3.そして、物をよく探すようになる。保険証、自転車のカギ、ビールなど
4.ごくたまに、変なことをいう。夜中に突然起きて、「学校に行きたいから場所を教えてくれ」など
5.とにかく、よく食べる。起きているときは、お菓子、パンを中心に1日中、口をモグモグさせている
6.趣味嗜好が変わる。テレビをほとんど見なくなった。音楽を聴かなくなった。日本酒を飲まなくなった
こういうケースがみられると、アルツハイマーなどの認知症を疑ってしまいますが、医者が言うには老化に伴う認知機能の低下だそうで、特に薬の処方はありませんでした。
事前に電話をかけたとき、看護師が「自宅に1人で帰ることはできますか?」と聞いてきたので、これができるうちは、まだ余裕があるのかもしれません。
父より6歳若い母の状態は
1.暴言がかなりひどい。バカ、殴るぞ、殺す、死んでやるなど今まで口にしなかった乱暴な言葉を使うようになる
2.喜怒哀楽の変化が激しい。自分の思い通りにいかないとすぐ怒る。テレビを見て馬鹿笑いをする。ちょっとしたことで傷つき泣き出す
3.ものをよく失くす。現金、キャッシュカード、通帳、保険証など
4.とにかくよく喋る。誰かしら人がそばにいて、起きているときは、それこそ朝から晩まで。内容は人の悪口と昔話
これも認知症の人にみられる特徴ではあるが、記憶に問題はなし。会話はいたって普通。足が悪いため、時間はかかるものの、家事や買い物に大きな影響はない。
まとめると、父は記憶、母は感情の制御に著しい衰えを感じます。
ただ、これも受け入れるしかないのかと。目が見えにくくなったり、耳が遠くなったりするのと同じで、薬や根性論でどうにかなる問題ではないのでしょう。
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地域包括支援センターが自宅訪問する家庭の基準とは?
私も、ただ「はい、はい」と頷いていたわけではありません。
母の暴言が気になっていた私は「ご近所さんから苦情でもあったのでしょうか」と尋ねました。
すると、包括センターの相談員は「いいえ。この近くの高齢者のご自宅を順番に回らせていただいております」と答えました。
そうか、80を過ぎると、こういうふうにして地域住民を見守るのだな、と納得。
ですから、2回目の訪問でも特に違和感は持ちませんでした。
問題は3回目。訪問回数を年に1度から月に1度にしたいというのです。
このときも、訪問理由について尋ねたのですが、1回目のときと同じような返答でした。
さすがにこれはおかしいと思い、私の家から1キロほど離れている場所に住む母の叔母(私から見ると大叔母)に、包括センターの人が来たことあるか、聞いてみたのです。
それが、“1度もない”と。
大叔母は90代後半で息子と2人暮らしにもかかわらずです。
明らかに変なので、今度は委託元である役所に問い合わせました。
その返答は、「父が通帳や書類を持って役所に来たことがある」、という内容でした。
これ赤の他人からすると何か手続きで必要になったのかなと思うかもしれませんが、同居する家族からすると「やっぱそういうことか」と前々から気になっていたことだったのです。
役所の担当者はかなり気を遣っていた様子ですが、おそらく父が、通帳に記載されている内容について、あれこれ質問して困らせていたのだと思います。
引き落とし、振り込みといった通帳の見方について、私が何度も説明したのですが、どうも理解できない。それで役所にいったのかなと。たぶん銀行にも行っていると思うけど。
本人に確認しても、そんなことしたかなという感じの他人事。
幸い、最近は通帳を眺めることはしなくなったのであまり心配していないのですが。
私の家に来た本当の理由はわかりましたが、なぜこのことを包括センターの相談員は話してくれなかったのか?
役所から「ただ行ってみてくれ」と言われただけで知らされていない可能性が高そうですが、そのため父への注意・対応が遅れてしまったように思います。
自宅訪問の基準についてですが、一人暮らしまた夫婦だけの高齢者世帯を中心に回っているようです。
倒れても誰にも気づかれない孤独死。
老々介護による共倒れなどを危惧しての対策でしょう。
やり取りで感じた地域包括支援センターの印象
向こうから月に1度訪問すると言っておきながら、なぜ来ないのか?
それはたぶん、私が「断るとどうなりますか?」と役所の担当者に質問したからだと思われます。
突然、訪問したことに対して謝罪していましたし、余計なお世話だったかと反省したのかもしれません。
なんでこんな失礼な質問をしたのかというと、しつこく感じたからです。
たとえば確定申告。
年に1度であれば「まあいいかな」と思えますが、これが月に1度となるとどうでしょう。
「またやるのかよ~」「面倒くせえなあ」というネガティブな気持ちに陥りそうです。
こんな心構えでは、せっかく来てくれた包括センターの相談員に対して失礼というもの。
この件は、両親も私と同じ考えです。
あと「何かあったら連絡ください」「相談してください」などの呼びかけ。
何度も何度も同じようなことを言われると、借金の返済を催促されているみたいで逆に問い合わせがしにくくなります。
頼んでもいないのに勝手に来るのを、お節介ととるか親切ととるか、人によって違うと思います。
また、彼らには彼らなりの言い分、事情というものがあるのでしょう。
それを踏まえてもしばらく様子見。
包括センターに頼るのはあくまで最終手段で、親せきやご近所さんの力を借りながら人並みの生活を目指していくつもりです。
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