アラ還主婦の2拠点生活~介護編~

暮らし

私は現在、九州と山陰を行ったり来たりの2拠点生活を送っています。
その距離460㎞
今は九州で、夫と2人で生活しています。

九州には私の実家があります。
山陰には夫の実家があります。

1989年、九州で仕事をしていた夫と知り合い結婚。長女と長男も九州で生まれました。
その後、夫がUターンを決意。1994年、家族で山陰に引っ越し。
2019年まで2世帯住宅に改築した夫の実家で、夫の両親と姉と生活しました。

ではなぜ、私たちが今は九州で生活しているのか?
なぜ私が2拠点生活を送っているのか?
タイトルが「介護編」なので、予想はできると思いますが、そのいきさつをお話しましょう。

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きっかけは母の入院

2014年5月、私の母が脳梗塞で倒れ救急車で運ばれたと、父から連絡がありました。
緊急手術で一命は取り留めましたが、意識は戻らないかもしれないと、医師から説明がありました。
僅かな望みを信じて、私と夫は隔週で460㎞の道のりを母を見舞うため、九州に通いました。

このことがきっかけで、私たちの生活が大きく変わっていくこととなります。

思いがけないお誘い

母の意識が戻らないまま、3カ月間が経過した頃のことでした。

母のお見舞いに九州に来ていた私たちは、1994年まで夫が勤めていた福祉施設の先輩にお会いしました。先輩はその福祉施設の施設長になっておられました。
久しぶりの再会で話が盛り上がる中、その先輩が冗談のように「俺は数年後定年退職するから、その後Yくんどう?」と言ったのです。
夫も私も1ミリも考えたことが無かったことだったので、びっくりしてしまいました。
その時は、軽く流して話は終わったのですが、山陰に帰る道中で夫と、「あの話は冗談では無いかも。有りかもしれないね」と話し、よく考えてみることにしました。

夫の決断

2015年12月に夫の父が亡くなりました。

そして、2016年2月に私の母も亡くなりました。倒れてから1年9ヶ月、意識が戻ることはありませんでした。
母が亡くなった後も、一人になった父の様子を見るために、私たちは九州通いを続けました。
夫の「次の施設長に」の話は、やはり冗談ではなく、だんだんと現実的になってきていました。

そして、2018年、先輩が定年退職となり、夫は先輩の後を引き継ぐ決断をしたのでした。

再び九州へ

2019年3月、山陰の夫の実家で一緒に生活した夫の母と姉、そして娘に「2人が引っ越してしまうと寂しくなるけれど、九州では、お父さんが一人で生活しているからね」と、送り出してもらい、私たちは、再び九州に引っ越しました。

夫は、九州から山陰にUターンし、また九州に戻るSターンとなりました。

夫の姉の転機

2021年1月、私の父が亡くなりました。
私たちが九州に戻って約2年。10年くらいは一緒に生活するだろうなと思っていたので、こんなに早いお別れはとても寂しいものでしたが、短い間でも、一緒に生活できて良かったと、今では思っています。

2022年、山陰の夫の実家で一緒に生活していた姉から「幼稚園の園長にならないかという話をいただいたのだけど」との相談がありました。
最初姉は、母が高齢で介護が必要だし、園長なんて無理だと言っていました。
この時私は、夫と同じ社会福祉法人で、パート勤務をしていましたが、この話を聞いて「姉を手伝いたい!!」という思いに駆られました。
姉は、結婚後間もなく、夫を事故で亡くすという悲劇に見舞われましたが、その悲しみを乗り越えて、両親のお世話をし、姪と甥をかわいがってくれています。家族が最優先の人なので、母の介護のために、園長になることを諦めてほしくないと思ったのです。
私は姉に「私が仕事を辞めて手伝いに行くから、園長の話を受けてほしい」と伝えました。姉も私の申し出を喜んでくれて、園長の話を受けました。

そして、2拠点生活が始まった

2023年4月、いよいよ私の2拠点生活が始まりました。

山陰は、25年間生活していた住み慣れた所ですし、つながりもたくさんあるところなので、またいつでも行けるようになったことが嬉しかったです。
それに、4人いた両親が、今では夫の母だけになってしまったけど、お世話できる時間をいただけたことも、感謝なことだなあと思いました。

九州の方での生活も5年目になっていましたから、いろいろと役割があったりして、スケジュールのやり繰りをしながらの2拠点生活となり、多い時には月に3往復することもありました。
移動手段は軽自動車。いろんなルートを試した結果、一般道が最も距離が短く、最もガソリンもお金もかからないということがわかりました。
時間を自由に使えるし、車の運転も好きなので、道中の綺麗な景色を眺めつつ、道の駅や温泉にも寄ったりして、まるで旅行気分です。
「大変だねえ」と周りからはよく言われますが、私自身は楽しんでいます。
母が、体調を崩して入院するという緊急なこともありましたが、そんな時は、新幹線と特急を使うこともありました。

まとめ

アラ還と言われる年齢となり、こうして振り返ってみますと、思いがけないことに遭遇したり、想定外のことが起こったり、いろいろあったなあと思います。

夫婦それぞれの実家が遠く離れていたりすると、親の介護など切実ですよね。
私もその時その時で、できることをやってきて、今は2拠点生活ができることとなっています。
今後どのように状況が変わっていくのかわかりませんが、「何とかなるさ」と柔軟に考えていけたらいいかなあ~って思ってます。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

この記事を書いた人

ねこさっこ
出身:福岡
学歴:短期大学卒業
職歴:福祉
趣味:保護猫活動、自然観察

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