人間が社会的な生活を送るためには、基本的に「衣」「食」「住」の3つが欠かせません。
そのうちの1つである食に関しては、多くの方が食品スーパーで食材等を購入して賄っています。
そんな食品スーパーですが、物価高の時代では特に「激安スーパー」が人気です。
私も、もう10年以上前になりますが、かつて激安価格で注目されていた、とある食品スーパーで社員として働いていたことがあります。
担当は「総菜」で、私が新卒初任で赴任した店舗では、それはもう毎日のように忙しい日々を送っていたものです。
そこで今日は、かつて私がどんな仕事生活を送っていたかについて話したいと思います。
朝起きてからの仕事内容
当時はとにかく朝が早く、4時30分には起きないと仕事に間に合いませんでした。
仕事の日は5時出勤、なので準備に10分、通勤に10分、着替えなどの準備に5分はかかることを考えると、その時間に起きないと間に合わない計算なのです。
ちなみに、朝ごはんは食べていませんでした。
仕事が始まって最初にすることは、冷蔵便の仕分けと片づけです。
冷蔵便には野菜やおにぎりなどが、通称「カゴ車」(調べてみたら「ロールボックスパレット」というそうですね)1~2台にぎっしりと詰まっているので、それを冷蔵庫に収容したり、おにぎりのようにすぐ店頭に並べる商品はそのまま店頭に並べる作業を行います。
力仕事なので、基本的に私のような若い社員が担当することが多いのですが、私以外の朝担当のパートさんはいずれも高齢だったので、お休みの日にはたまに(内緒で)片づけの手伝いをしていたものです。
片付けが終わったら、次は揚げ物の担当です。
揚げ物には大きく2種類あって、1つは「品出しする商品用」に、もう1つは「お弁当などの具材用」に用意する必要があります。1日に作る弁当などの数は決めてあるので、その数に必要個数を掛け算して、揚げ物を用意しておきます。
品出しする商品もある程度は「1日にこれくらい売れるだろう」と予測して発注していますが、予想に反して売り切れている場合は追加でいくらでも揚げる姿勢も、売上アップのためには必要でした。
その間、ほかのパートさんの担当に問題がないかどうかの気配りも重要です。
とはいえ、新卒ペーペーの若造ごときが何かする必要があることはほとんどなく、何か頼まれたら手伝うくらいのことですけれど。ときに連携することもありましたが、基本的にそれぞれ役割分担があって、社員の担当は揚げ物といった流れがあったようです。
さて、ウチでとにかく売れまくっていたのが「4個セットで安いコロッケ」です。
それだけで「ああ、あの店か!」とわかるくらい、ウチの総菜の代名詞とも呼べる商品でした(今でも多分そうでしょうけれど)。
とりあえず「コレを出しておけば文句は言われない」というくらい重要度の高い商品で、平日300パック、休日なら350パックは売れる大人気商品です。
朝一でも「ねえ、いつものコロッケ出ないの?」と、お客さんから催促されるくらいなので、片付けの合間にフライヤーにコロッケを突っ込んでおいて、片付けしながらフライヤーの様子を見つつ、といった感じにしないと間に合いません。
とにかく朝は忙しかったんです。「馬車馬」とか「犬馬の労」という言葉が、よく似合う生活でしたね。
本格的に忙しくなる午前中の仕事
7時になると、午前パートの人たちが出勤してきます。その中には弁当担当の人たちもいるので、その時間までには弁当用の揚げ物などを準備していないと文句を言われてしまいます。
基本的に「寿司担当」「弁当・丼担当」に分かれて作業してもらいます。その間、私は相変わらず揚げ物担当です。
揚げ物が手すきになったら、ちょっと弁当を手伝うみたいなことはできましたが、基本的にフライヤーにつきっきりでした。
ちなみに、業務用電気フライヤーが4台、これをフル稼働しても人気のコロッケを一度に25パックまでしか作れません。
もちろん、揚げ終わった揚げ物をパック詰めしたり、ばら売り商品を金属製の入れ物に入れて品出しするのも、揚げ物担当の仕事です。
基本的にフライヤーにつきっきり、何かを揚げながら揚げ終わった商品をパック詰めしたりラップを巻いたり、値札を貼ったりしていました。
品出しもよほどのことがない限り自分でしなければならないので、たまに「タイマー鳴ってたよ!」って、弁当担当の人が気を利かせて揚げ物をフライヤーから上げてくれることもありました(感謝に堪えません)。
揚げ物の種類は基本的に決まっていますが「1日何個売る」までは厳密に決めていなかったので、「売り切れそうになったら追加する」というスタンスが基本でした。
初任の店舗はとにかく総菜が売れるお店だったので、私たちの仕事量はとにかく半端なかったと思います。
特に先述のコロッケなんかは50パック出したのが、客数の多い時間帯だと30分も持たないで追加製造なんでことも頻繁にありました。
お昼は時間との勝負
お昼まででも相当なカロリー消費量の仕事をこなしてきた私ですが、社員にとって「昼」という時間帯は極めて重要な時間帯です。
なぜなら社員には「発注」という仕事が待っているからです。
発注は専用端末を用いて行います。この端末の数に限りがあるので、ほかの部門担当者が発注している間は発注作業ができません。
しかも、発注はその日の14時までに終わらせないと間に合わないので、自分の作業をある程度終えたら早めに発注作業に入らないと、他部門とのブッキングで大変なことになる日もあります。
揚げ物は社員が行うのが基本ですが、社員が発注などでいないときは寿司や弁当担当が仕事を終えてから担当を代わってくれていました。
そんな人たちも12時には帰らなければなりませんので、連携も踏まえて「今日は何時ごろに発注に入らないといけないな」と考えながら揚げ物を作るわけです。
発注で辛いのは「寒い」ことです。
総菜部門で扱っていたのは「冷凍食品」「冷蔵食品」「冷蔵が必要ない食品・調味料類」「パックなどの消耗品」がメインです。冷凍食品はもちろん冷凍庫に入っているのですが、いわゆる業務用冷凍庫なので、部屋自体が冷凍庫になっているスペースで商品を保管します。
基本的に在庫を見ながら発注数を決めるので、当然ながら冷凍食品の発注時には冷凍庫にいなければなりません。夏場でも寒いんです。
それが終わったら昼休憩…とはいきませんでした。
今だからこそ言えることですが、当時私は昼に休憩をとっていなかったんです。
バレれば法律違反になる可能性がありますが、そんなこと言っていられないくらい忙しかったんです‼なので、昼食も食べる暇がありませんでした。
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昼からはのんびりと仕事
13時になると、午後パートの人たちが出勤してきます。
社員は相変わらず揚げ物を担当し、午後パートの人たちには「和惣菜」と呼ばれる、要するに煮物やポテトサラダなどを作ってもらいます。
その下準備は午前中に行っているので、午後はその加工作業とパック詰め・品出しがメインになりますが、午前中よりも担当人数が少ないので皆さんが想像しているよりも大変でした。ただ、午前中ほどの緊迫感はなかったと思います。
揚げ物担当は、売り場が安定してきたら和惣菜担当の手伝いをします。
多くの場合はラップ巻きや値付け、売り場への品出しがメインですが、一緒になってパック詰めをすることもありました。
揚げ物を放っておくと、いつの間にか売り切れている商品も出てきます。なので、何かを売り場に出している際に一緒に揚げ物売り場もチェックしておき、コロッケや唐揚げなどの人気商品はとくに品切れ前に可能な限り追加製造できるようにしておきます。
それでも間に合わなくて売り切れになってしまって、お客さんから催促されることもあるんですけれどね。
基本的に16時に退勤です。
ですが、17時から出勤する清掃担当のパートさんが1人しかおらず、その人がお休みの日には午後パートさんに清掃を任せるしかありませんでした。
しかし、午後パートさんもそれは負担だったらしく、相談の結果として清掃パートさんがお休みの日は私も一緒になって、17時30分ごろ~18時まで使って清掃を手伝いました。
2人目の清掃担当を雇えればよかったんですけれど、当時のウチは慢性的な人手不足で、とくに17時から夜遅くまで働いてくれるパートさんって、なかなか見つからないんです。
1日1回の食生活
なんとか仕事が無事に終わったら、ようやくタイムカードを切ってからお店を後にします。
基本的に私は自店ではあまり買い物をしません。するとしても、その日の夕食を買うことはありませんでした。
理由は先ほどの「慢性的な人手不足」から来る、慢性的な早期の売り切れが原因です。
お弁当やお寿司など、主食になるような食べ物は基本的に午前中しか製造しませんでした。
なので、これらの商品は私が退勤するころには売り切れているか、売り切れ寸前だったのです。
なので、私が購入する分は残っていないということなんですよ。
冷凍食品などを購入することもありましたが、7割くらいは他店の総菜を購入して帰る生活でした。
帰り道に食品スーパーが多い立地関係もあって、食べるものに悩む心配はありません。
駅近くの店舗で売っていた「鯖棒寿司」は、今でも忘れられないくらい美味しかったです。
私は朝食も昼食も食べていなかったので、基本的に夕食しか食べる機会がありませんでした。
ただ、仕事中は揚げ具合を確かめるためにフライドポテトなどを試食できる機会もあったし、基本的に調理場は高温環境なので水分補給が認められており、日中にお腹がすくことはありませんでした。
それでも唯一の食事タイムは、せっかくなので「これぞ!」というものを選ぶことを心がけていました。値段についてはあまり気にせず「これ食べたい!」と思ったらカゴに入れるみたいな買い方です。
安月給でしたが、1日1食のスタイルなので、そこまでお金に困っていた記憶もありませんでしたし…
夜は、というか夜になる前の時間帯には寝てしまいます。
お酒は、当時はあまり飲んでいなかったように思います。飲んでも度数3%の安酒くらいでしたか。
退勤時間などの生活スタイルゆえに、同期と飲みに行くという機会にも恵まれませんでした。
まとめ
今思えば、何が楽しくてこんな過酷な毎日を送っていたのかわかりません。
会社自体はブラックではなかったと思いますが、まあ、いわゆる「ワーカーホリック」みたいなものだったんですかね。
売り上げが伸びればそれだけで全てが報われた気分になりましたし。
ただ、一緒に働く仲間には恵まれていた気はしますが、慢性的な人手不足もそうですがそれ以上に上司に恵まれていなかった記憶もあります。
それは、機会があればそのときにでもお話ししましょうか。
皆さんも、働き甲斐だけでなく、健康的に働けることを考えて仕事を選んでくださいね。
zinc
出身:愛媛県松山市
学歴:大卒
職歴:レンタルビデオ店店員(バイト)、食品スーパー社員(総菜部門)
趣味:読書、ネットサーフィン、音楽の視聴、動画の視聴
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