ニュースをきっかけに視力検査と目の俗説について調べてみた

暮らし

先日、「色覚検査」についてのニュースを目にしました。

エルザ by ORICON NEWS 様記事
「【眼科医解説】学校の「色覚検査」はなぜなくなった? “色覚異常”や“色覚障害”から呼び方も変化」
https://beauty.oricon.co.jp/special/102595/

色覚検査・見え方の呼称変遷、差異に対する社会の取り組みなどが紹介されています。
現在、学校での色覚検査はほとんど実施されていないとのこと。
廃止原因としては、見え方の『多様性』を生活にそれほど支障がないにも関わらず『異常』とみなし、一律の検査によってそれを明らかにした結果、過剰な差別につながったからのようです。

アラフォー筆者の第一感想は「そんな検査あったかな?」。
単に記憶力の問題かもしれませんが、思い出として出てこない程度には影が薄い存在だった様子。

目の検査で昔と違う点といえば、視力測定、今は数字じゃなくてABCD判定なんだとか。
具体的にどんな分け方をしているんだろう?

そう思って調べてみたら、他にも気になる点が出てきた&芋づる式で情報が引き出されてきたので、まとめてみました!

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視力検査の現状と感想

まずは最も気になっていたアルファベット判定の範囲がこちら。

A・・・1.0以上
B・・・0.9~0.7
C・・・0.6~0.3
D・・・0.2以下

参考:えんきん.com 様
https://enkinpro.com/column/care/学校検診の視力検査の「a・b・c・d」ってどういう/

昔は1.5や2.0を叩き出して、周囲から称賛の眼差しを浴びる子がクラスに1人2人はいたものですが、今はひとまとめに「A」なんですね。ちょっと寂しい。
学校検診のひとつなので「学業においてどのような状態になるか」が基準となっています。
例えば「A」なら、教室の一番後ろの席からでも黒板の文字を楽に読める…という判断ですね。

大人の場合、視力検査が身近となるシーンは、健康診断以外では運転免許取得時ではないでしょうか(個人の認識です)。
普通自動車の運転免許取得に必要な視力は、

両眼で0.7以上、かつ、一眼でそれぞれ0.3以上、又は一眼の視力が0.3に満たない方、若しくは一眼が見えない方については、他眼の視野が左右150度以上で、視力が0.7以上であること。

参考:警視庁 様
https://www.keishicho.metro.tokyo.lg.jp/menkyo/menkyo/annai/other/tekisei03.html

となっています。
学校検診のアルファベット判定だと「B」以上ということですね。

免許取得時の検査でも、合否判定だけで、正確な数値は知らされないパターンが多いのではないでしょうか。
そうなると、目が良い人の場合、自分の正確な視力は一生知らないまま…なんてケースも多いのかもしれません。
これらの他に視力検査を行う機会は、メガネやコンタクトを作る時ぐらいになりそうですし。
…今も昔もメガネがパートナーの身としては、その状況になれる方が心から羨ましいです。

器具の名は ~視力検査編~

文字通り絶対に「見た」ことがあるのに、そういえば名前なんだっけ? となってしまうモノたちの正式名称を調べてみました。

「C」が愛称に違いないあのマーク・・・ランドルト環
エドムンド・ランドルトという眼科医が考案者であり、その名前が由来となっているそうです。

下に行けば行くほど「C」が小さくなっていく表・・・字づまり視力表
一番下が見えれば2.0。筆者には豆粒にしか見えません。

検査時に片目を隠すスプーン状の器具・・・遮眼子(しゃがんし)
役割そのままの漢字ですね。今回調べた中で「そういう名前だったんだ!」という驚きが最も大きかったです。

気球が映るあの機械・・・オートレフラクトメーター
目の屈折異常(近視・遠視・乱視など)のチェックに使用されています。

プシュ! と風を出すあの機械・・・ノン・コンタクト・トノメーター
医療関係者の間では「ノンコン」と呼ばれているようです。目の表面に軽く風を当てて眼圧を測ります。

話はそれますが、調べる際、「視力測る時に片目を隠すスプーンみたいなもの」「気球が出る機械」などの曖昧ワードで見事正解が導き出され、検索の進化にしみじみしました(笑)

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近視の人は老眼になりにくい説の真偽

視力検査について調べ、連なり頭に浮かんできたのはこのウワサ。

近視の人は老眼になりにくい

子供の頃から現代でいう「C」「D」判定だった筆者。当時は小学生でメガネをかけている子はあまりいなかったため、随分からかわれたものです。
心理・物理両面で損しかなかった近眼ですが、この通説が本当なら多少は報われる(?)というもの。
漠然としか知らなかったこの情報を、これを機に調べてみました。

結論:そんなことはありません

参考
眼とメガネの情報室 みるラボ 様
https://mirulab.jp/column/cat06_presbyopia/2224/
医療情報メディア【Medicommi】 様
https://medicommi.jp/46936

なりにくいのではありません。気づきにくいのです。

近視は読んでそのまま「近」くのものが「視」えやすい状態です。
ゆえに、老眼の症状「近くのものを見るときにピントが合いにくい」が出現しても自覚しにくくなります。

なりにくいどころか、自らが老眼であると気づくのが遅れる結果、対処も後手に回り、目に負担をかけてしまう可能性も…。
やはり、視力の低下は損にしかならいようですね。

視力検査の意義を改めて考える

なぜ学校検診に視力検査が組み込まれているのか?

異常を放置すると生活や学業に支障をきたすから

「目」の果たす役割は、五感の中でも特に大きいのではないでしょうか。
筆者も、メガネやコンタクトなどがなかったら、仕事は愚か日常が成り立つ気がしません。
QOLが下がるどころか、食事や買い物など、日々の動作さえ難しくなってしまうでしょう。

なのにそのありがたみを忘れていることが多いなあ…。
今も、ドライアイ気味なのに目薬をさしそびれている…。

ひとつのニュースをきっかけに、己の目をもっと労わろうと思ったのでした。
今は目薬、今夜は蒸しタオルで労をねぎらおうかと。

喉元過ぎれば熱さを忘れる人間ですが、この気持ちはどうにか保持していきたいものです。

この記事を書いた人

こーてい
学歴:高卒
職歴:製造業事務、建設業事務
趣味:小説執筆、読書、映画鑑賞

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